愛名心』って言葉、ご存知ですか?
〜健やかなこころとからだ、そしてことだまの目指す時代へ〜

ことだまの目指す時代
menu お問合せ
LINK
命名言霊学協会
ビジョンヨガ推進本部
タッチセラピー協会
 
 
 
   

ことだま空想物語

私の名は、人呼んで『井戸仙人』じゃ。
年に何回かこうして人前に出てお話しするがの、いつもは井戸深くで眠っているんじゃ。世の中の動きは、かえって静かなところにおると、よーく見えて来るでな、まして地下水の流れで手に取るように分かるんじゃよ。


わしが初めて名前のことだまに遭遇したのは、かれこれ10年前になるかのー。
その頃はまだ今みたいなきっちりしたものなどなくて、名称すら定まっていなかった。ただ、言葉、言葉が大事・・というばかりでな、智恵としてそこにあるだけじゃった。
例えて言うなら、イザナギとイザナミが出逢って海面をぐるぐるとかき回したらオノコロ島が誕生したようなものじゃ。
名前のことだま企画もそんな風に、天意とも言うべき大きな力が働いて、生み出されたんじゃ。
最初は、ヒルみたいにぐにゃぐにゃした体しか生まれなくての、例えじゃが、そりゃー苦労したわい。何度も何度も練り固めては壊れて。大地を固めるって大変な事業じゃった。懐かしいのー。はっはっは。

言葉とは「光透場」と書くが、天地(あまつち)の澄んだ気を太陽の光で透かして、豊かな大地、つまりは場を整えるんじゃ。分かるかの?つまりじゃ、大気はコトバで満ちておるんじゃ。分かりやすく言えば、息を吸えばコトバが口から入り、息を吐けばコトバが口から出る。
だから「想い」「想う」というのは、それ自体声や音にはなっていないが、光で透かして見ると、それは見えるし、聴こえるし、伝わるんじゃ。

それを心と言うんじゃな。心は見えなくても、聴こえなくても、分かるじゃろ?そーゆーことじゃ。
しかしのー、最近の子供たちは心が読めなくなってきたのー。わしらの時代は、人の心ばかりではなく、魂の声も聞き分け、目の前の人がどんな生き方をしたいのか透けて見えたものじゃがのー。人の意識ばかりでなく大気を読めば、天地の声も感じたものじゃ。
この国の行く末が心配でならぬ。。。

それはさておき、ことだま誕生秘話じゃったの。
大八島をこしらえた後、イザナギとイザナミからアマテラスとスサノオとツクヨミが誕生したんじゃ。
アマテラスは、オノコロ島に近い播州を治める主となり、太陽神としてあふれる母性をふりまいとる。
ツクヨミは、摂津の国で黄泉の国のイザナミの祟りを鎮めながら、夜のしじまで詩を詠んでいるわい。
イザナミも最初は、怒りに燃えて夫に復讐しようとして使ってはならない呪いの力を用いる寸前だった。がしかし、今では思いとどまり、許し、時が来るまで地下で眠っておる。(ほー・・)
スサノオはまだ覚醒しとらんから今は目立った動きはしとらん。が今に日本中を震撼させる大変革事業を興すぞよー。楽しみじゃのー!ほーほっほっほっ。

ん?話が元に戻ってないって?神話はもういいって?んぃやいや、歴史は繰り返すというじゃろ?だから神話もまた繰り返すんじゃよ。だがの、争いばかりの神話はもうたくさんじゃ。今の日本の歴史は争いが好きな天孫系の者どもがでっち上げた”にせものの歴史”じゃ。神々が争っているから、我々子孫も争い事は避けられないんだ、と正当化するかのようなでっち上げの「偽の神話」は、もうまっぴらごめんじゃ。

記紀編纂された8世紀以前の原日本人は、争いがきらいでの。きらいというより争わずして和する術(すべ)を心得ちょったのじゃ。この今の日本をその頃に戻さないといかんのぉー。真日本人よ、安曇族よ、海人よ。土着の神々をあがめ、万年単位で平和を維持してきた智恵の者よ。
失われしやまとの文明を地上に蘇らせんことを。真性平和社会の実現か、核とウィルスと精神荒廃で滅びの道か。選ぶのは一人ひとりじゃよ。新たな和道文明を興し、後世の世に新たな神話を創生するんじゃよ。
今なら何とかまだ間に合うかもしれん。コトバの力は、「光透場」の力じゃ。扱いを間違うと、魔が差し滅びに向かうがの、正しい音で、正しい扱いをすれば、どれだけ先が見えなくても光が差すものじゃよ。それが言葉の力じゃ。事上げをしようぞ、正しい言葉で。

 

このページの原稿は、また時期が来たら、書こうかの。
実を言うと、どこまで描き出していいものか、その判断が付かなくての。ちょうど今転換点に差し掛かったところじゃから、人心乱れ、世の中が混乱してくるからの、わしの話を素直に受け取ってくれればいいがの、かえって混乱を引き起こしてもなんだからの。澄んだ水を飲みたくないという人もいるでな。

新たしい世界、明るい未来は直ぐそこまで来ているのじゃが、もう少しの間、ことだま師諸君に、時代を切り開いてもらいながら、未来の世界を公表するべき時が来たら、また井戸から這い出て、指針となるべき言葉を述べさせてもらうからの。

お声がかかるまで、イザナミと酒でも飲んでいようかの、ほーほっほっほ。